夏休みの記憶
なんか
眠れないや
小学生みたいだな^^;…
自分の
うちの子たちの頃の夏休み
どうだったかなって 考えてた
”思い出す” とはちょっと違うんだな
(思い出すまで考えないと出てこない遠い^^;)
坊たんの三歳
れちゅは、弟ができて
父親が、
だからお風呂のある家に、と
見晴らしの良い場所にマイホームを建てた
(下水を自分で掘って繋げたっつんだから、スゴイな
お金無かったみたいだからね…)
植えたばかりの芝生の上にビニールプールはって
(上に黒のゴミ袋かけとくと早く温まるのね。今は黒いゴミ袋なんか使えないもんなぁ…)
ひまわりのビキニ着てポーズとってる写真がある
(胸があろうがなかろうが 着れていいよな。しかもポーズまでとっちゃえるあどけなさ^^;)
三男の6歳の頃
保育園でお昼寝させられるのがほんとにイヤで、ほんっとにイヤだった
(だって眠れるわけないじゃん。でも寝てないと先生に怒られる)
いじわるな子がいて、女の子だけど
苦手だった
父方の実家の祭りに飛び入りで揃いのはっぴを着せてもらって写ってる写真も
たぶんあの頃かな
小三の次男の頃かぁ
父親が潰瘍で倒れて
手術受けた後だか前だか…
だってその後東京に引っ越すんだから
たぶん近所のお姉ちゃんたちとピアノを習いに行ってて
あ。音楽の授業では合唱の伴奏をしてるね
水兵さんみたいな(セーラーっていうのか^^;)2ぴーす着て教室のピアノの発表会
ゴボウみたいにまっ黒でひょろっとしてた
小六の長男
(引っ越すんだな。この後また(-_-))
これまでの人生のうち”都民”だった僅かな3年間。小学生最後の夏。
西武新宿線の駅だったから、子ども達はみんなライオンズのキャップを被る
球場や遊園地も新聞屋さんにもらう券でよく行った
夜
社宅の四階の窓に、車のライトが流れていって
眠れなくてそれを眺めながら
ラジカセでテレビやラジオから録音したお気に入りの曲のテープをかけて聴いた
サザンのすきっぷびーととか
オメガトライブの二人の夏物語りとか
(タイマー録音したりすんのね。頭出し出来るように無録音部5秒あけて…なんちゃって(^^))
ちっとも眠れずにいた
いつも眠れずにいた
子供って眠れないよね。なかなか。朝も早いし。
あぁ。ハートカクテルのイラストレーターが好きでポスター貼ってたかな
写真のポスターはパームビーチのサンセットみたいなやつ
(なんか、そういうのが かっこよかったのね~)
父親の会社の納涼祭の看板に何か描いてと頼まれて
その頃大好きだったナウシカとチチを描いたっけ。
工場の納涼祭は、賑やかだった。
紙コップで飲み歩く父について、いろんな人に挨拶して回った
もちろん
他にも思い出せる
市営プールに友達と自転車で行って
帰りにその頃ハマってた「たこ焼きのスナック」
あれなんつったっけな。たこ焼きくん?丸いやつ。
あれを自転車の前籠からつまみながら帰る
もちろん片手運転^^;(うんまいんだな。これがまた。
背中ひりひり。疲れててきもちいい)
たぶん
金曜とか土曜の夜は
目の前の大きなグランウドに
母親はタコハイ(流行ったよなぁ一時期。田中裕子が色っぽいんだなこれがまた(^^)おしん観てたなぁ)
父親ももちろん缶ビール(当時はSUNTRY)ぶら下げて
花火とかやりにいったっけ。弟のサッカーボール蹴って
そのグラウンドで
いつもサッカーやってる子がいて
母親が喫茶店やってて
それだけでなんかオシャレだな~とか思ってて
ある時
家庭科の調理実習の時
たぶんポテトサラダかなんか作ったのね
キュウリの薄切りをするんだけど
専科の先生がその子の作業を目ざとく見つけて
べたぼめしたのね
キュウリの両端を切って
その切り口をこすり合わせるの
今は知ってるけど
確かアクが取れるんだかなんだか
「よくそんなコトまで知ってるわね~」
みたいな
確かに当時関心した
悔しいと思ったような
惚れた~~!とか思ったような^^;サッカーも上手かったしなぁ。。
あだ名は”いっちゃん”
いい男になってるだろうなぁ (あすません。)
逆に
田舎の男の子はほんとに野蛮で強いか
優しくて弱いか
れちゅが自転車を取られちゃったことがあって
勇敢にも2つ下(学年は3つ)の弟が
「ボクが取り返してきてやる!」って
ずんずか歩いていったのは
あれは何歳の頃なんだろう
(恥ずかしいやら、情けないやら
でも弟が心配やら、後ろからついていったの覚えてる。鮮明に
弟が蜂におしっこひっかけて(わざとでなくやむを得ず)
きわどいとこ刺されて大騒ぎしたのも、きっとその頃
東京に引っ越してからは
おじさんの家に毎年お世話になって一夏を過ごす
普段は空き家にしている裏のふる~い家を自由に使わせてくれたんだけど
トイレはぼっとんのワンドア冷蔵庫、風呂無し、電気も裸電球。夜はめちゃおっかないの(T_T)
室内アンテナの14型くらいのテレビが一応あって(NHKくらいしか映らないけど)
いつだって高校野球の中継が流れてて
今ではかなり貴重であろう少年雑誌や小説の単行本が
漫画だけでも読むのに困らない程大量に保管されていた
表のおじさんちの母屋の二階に行かせてもらえば
(自由にはいけないのね。大事な部屋だから)
母親の従兄弟の部屋があって
当時その部屋と中にあるモノがちょ~かっこいいと思ってた
中学の美術の教師をしている下のお兄ちゃんの油絵のキャンバスがたくさん並んでて
作家を目指して上京してるけど音信不通だという上のお兄ちゃんの山のような本
ビートルズのレコードもびっしり
壁には「LET IT BE」やらジャケットのポスターが
松本零時の漫画はほとんどあの部屋で読んだ。
ついでにエロ本やハーレクインみたいな小説も。
ドキドキしながらね。
薄いオレンジ色のカーテンで
真夏の夕陽が差し込むと部屋の温度も少し上がって
時間がゆっくり進んでいるような気がしてくる
蝉の声とかが突然飛んできて
すぐ脇の高校のグラウンドから
野球部のカキーーーーン
階下からおばさんの声
「きょうこちゃん。カルピス飲む?」
「あ。は~~~い!」
おばさんは
気むずかしいけど
きちんとした人だったな
カリカリ梅とか
鉄砲漬けとか
おはぎとかも上手で
元気かなぁ…
おっ
眠くなってきたぞ。
いいかんじだ
だから何書いてたんだっけ??
そうそう
だから
れちゅの夏休み~小学生編。ってとこかな
キリがないね
続きは寝ながら思いだそう。
だって
今は
夏休み
子供って
良いな。ほんと。
こうして大人になっても思い出せる時間や風景を
いくつも いくつも 心の記憶に刻んでいって!
夏休みは
まだまだ始まったばかり。
今年の夏は
どんなかな。
追伸:
これに関連するちょっと懐かしいCMを観たい人は
メインブログへどんぞ。
眠れないや
小学生みたいだな^^;…
自分の
うちの子たちの頃の夏休み
どうだったかなって 考えてた
”思い出す” とはちょっと違うんだな
(思い出すまで考えないと出てこない遠い^^;)
坊たんの三歳
れちゅは、弟ができて
父親が、
だからお風呂のある家に、と
見晴らしの良い場所にマイホームを建てた
(下水を自分で掘って繋げたっつんだから、スゴイな
お金無かったみたいだからね…)
植えたばかりの芝生の上にビニールプールはって
(上に黒のゴミ袋かけとくと早く温まるのね。今は黒いゴミ袋なんか使えないもんなぁ…)
ひまわりのビキニ着てポーズとってる写真がある
(胸があろうがなかろうが 着れていいよな。しかもポーズまでとっちゃえるあどけなさ^^;)
三男の6歳の頃
保育園でお昼寝させられるのがほんとにイヤで、ほんっとにイヤだった
(だって眠れるわけないじゃん。でも寝てないと先生に怒られる)
いじわるな子がいて、女の子だけど
苦手だった
父方の実家の祭りに飛び入りで揃いのはっぴを着せてもらって写ってる写真も
たぶんあの頃かな
小三の次男の頃かぁ
父親が潰瘍で倒れて
手術受けた後だか前だか…
だってその後東京に引っ越すんだから
たぶん近所のお姉ちゃんたちとピアノを習いに行ってて
あ。音楽の授業では合唱の伴奏をしてるね
水兵さんみたいな(セーラーっていうのか^^;)2ぴーす着て教室のピアノの発表会
ゴボウみたいにまっ黒でひょろっとしてた
小六の長男
(引っ越すんだな。この後また(-_-))
これまでの人生のうち”都民”だった僅かな3年間。小学生最後の夏。
西武新宿線の駅だったから、子ども達はみんなライオンズのキャップを被る
球場や遊園地も新聞屋さんにもらう券でよく行った
夜
社宅の四階の窓に、車のライトが流れていって
眠れなくてそれを眺めながら
ラジカセでテレビやラジオから録音したお気に入りの曲のテープをかけて聴いた
サザンのすきっぷびーととか
オメガトライブの二人の夏物語りとか
(タイマー録音したりすんのね。頭出し出来るように無録音部5秒あけて…なんちゃって(^^))
ちっとも眠れずにいた
いつも眠れずにいた
子供って眠れないよね。なかなか。朝も早いし。
あぁ。ハートカクテルのイラストレーターが好きでポスター貼ってたかな
写真のポスターはパームビーチのサンセットみたいなやつ
(なんか、そういうのが かっこよかったのね~)
父親の会社の納涼祭の看板に何か描いてと頼まれて
その頃大好きだったナウシカとチチを描いたっけ。
工場の納涼祭は、賑やかだった。
紙コップで飲み歩く父について、いろんな人に挨拶して回った
もちろん
他にも思い出せる
市営プールに友達と自転車で行って
帰りにその頃ハマってた「たこ焼きのスナック」
あれなんつったっけな。たこ焼きくん?丸いやつ。
あれを自転車の前籠からつまみながら帰る
もちろん片手運転^^;(うんまいんだな。これがまた。
背中ひりひり。疲れててきもちいい)
たぶん
金曜とか土曜の夜は
目の前の大きなグランウドに
母親はタコハイ(流行ったよなぁ一時期。田中裕子が色っぽいんだなこれがまた(^^)おしん観てたなぁ)
父親ももちろん缶ビール(当時はSUNTRY)ぶら下げて
花火とかやりにいったっけ。弟のサッカーボール蹴って
そのグラウンドで
いつもサッカーやってる子がいて
母親が喫茶店やってて
それだけでなんかオシャレだな~とか思ってて
ある時
家庭科の調理実習の時
たぶんポテトサラダかなんか作ったのね
キュウリの薄切りをするんだけど
専科の先生がその子の作業を目ざとく見つけて
べたぼめしたのね
キュウリの両端を切って
その切り口をこすり合わせるの
今は知ってるけど
確かアクが取れるんだかなんだか
「よくそんなコトまで知ってるわね~」
みたいな
確かに当時関心した
悔しいと思ったような
惚れた~~!とか思ったような^^;サッカーも上手かったしなぁ。。
あだ名は”いっちゃん”
いい男になってるだろうなぁ (あすません。)
逆に
田舎の男の子はほんとに野蛮で強いか
優しくて弱いか
れちゅが自転車を取られちゃったことがあって
勇敢にも2つ下(学年は3つ)の弟が
「ボクが取り返してきてやる!」って
ずんずか歩いていったのは
あれは何歳の頃なんだろう
(恥ずかしいやら、情けないやら
でも弟が心配やら、後ろからついていったの覚えてる。鮮明に
弟が蜂におしっこひっかけて(わざとでなくやむを得ず)
きわどいとこ刺されて大騒ぎしたのも、きっとその頃
東京に引っ越してからは
おじさんの家に毎年お世話になって一夏を過ごす
普段は空き家にしている裏のふる~い家を自由に使わせてくれたんだけど
トイレはぼっとんのワンドア冷蔵庫、風呂無し、電気も裸電球。夜はめちゃおっかないの(T_T)
室内アンテナの14型くらいのテレビが一応あって(NHKくらいしか映らないけど)
いつだって高校野球の中継が流れてて
今ではかなり貴重であろう少年雑誌や小説の単行本が
漫画だけでも読むのに困らない程大量に保管されていた
表のおじさんちの母屋の二階に行かせてもらえば
(自由にはいけないのね。大事な部屋だから)
母親の従兄弟の部屋があって
当時その部屋と中にあるモノがちょ~かっこいいと思ってた
中学の美術の教師をしている下のお兄ちゃんの油絵のキャンバスがたくさん並んでて
作家を目指して上京してるけど音信不通だという上のお兄ちゃんの山のような本
ビートルズのレコードもびっしり
壁には「LET IT BE」やらジャケットのポスターが
松本零時の漫画はほとんどあの部屋で読んだ。
ついでにエロ本やハーレクインみたいな小説も。
ドキドキしながらね。
薄いオレンジ色のカーテンで
真夏の夕陽が差し込むと部屋の温度も少し上がって
時間がゆっくり進んでいるような気がしてくる
蝉の声とかが突然飛んできて
すぐ脇の高校のグラウンドから
野球部のカキーーーーン
階下からおばさんの声
「きょうこちゃん。カルピス飲む?」
「あ。は~~~い!」
おばさんは
気むずかしいけど
きちんとした人だったな
カリカリ梅とか
鉄砲漬けとか
おはぎとかも上手で
元気かなぁ…
おっ
眠くなってきたぞ。
いいかんじだ
だから何書いてたんだっけ??
そうそう
だから
れちゅの夏休み~小学生編。ってとこかな
キリがないね
続きは寝ながら思いだそう。
だって
今は
夏休み
子供って
良いな。ほんと。
こうして大人になっても思い出せる時間や風景を
いくつも いくつも 心の記憶に刻んでいって!
夏休みは
まだまだ始まったばかり。
今年の夏は
どんなかな。
追伸:
これに関連するちょっと懐かしいCMを観たい人は
メインブログへどんぞ。
コメント 0